12.


「お前、もうここに来るな」


 正直それは、予想していない台詞ではなかった。
 そもそもの状況が状況だし、相手の性格も性格だ。むしろ必ずそう言われる日が来ると思っていたと言っていい。その予想よりは、いささか早いリミットだったが。
 だからハヤトは表面上は特に慌てるわけでもなく、こちらも表面上は、普段と特に変わらない顔をしているように見えるジャックに、なんで、とだけ尋ねた。
「俺がもう、ここに居なくなるからだ」
「それって…ええと、その、見つかった、ってこと?」
 目的の…もの、が。
「いいや」
 その答えはハヤトには少し意外だったが、少し安心する。
「じゃあ…どうして?」
「もうやめた」
 淡々と、いつもと変わらない調子で、ジャックはそう言った。

「もう『あいつ』を追うことはしない。この街から、消える」

 その答えは予想外だった。
 ハヤトは目を白黒させる。いったいどういう心境の変化だ。
「え、でも、じゃあこれからどうするの?そんな、…自分のこともよく解らないのに。だいたい、ここから居なくなって、どこに行く気だよ」
「どうとでもなる」ジャックはついと背を向けると、屋上の縁に向かって歩き出した。
 金網に手を掛ける。
「この世界は、結構、広いよな」
 空を見て、目を細めて。
「気が付かなかった」
「うん…まあ、あんまり改めて考えることじゃあ、ないしね」
「…もっと、ちゃんと、見てみたい」
 横に並び、ジャックの―――何かうまく形に成り切らない感情を滲ませて、そう呟く横顔を見詰めて、ハヤトは何かを理解した。
 …ああ、そうか。
 こういう心境の変化か。
 ならばそれは…歓迎すべき、変化だろう。
 むしろ諸々の問題心配事の、この上ないほどの平和的な自然解決となる。…いささか、肩透かしな程に。彼にとってあの『目的』は、そんなに簡単に放り出していいような類のことだったのだろうか。そうだとしたら、自分はずいぶん空回りしていたことになるが…
 まあ、そんな文句は出すまい。
「いっくらでも見ればいいよ」
 隣の視線をなぞるように空を見ながら、ハヤトは明るい声でそう言った。
「やることなくなったんなら、時間はいくらでもあるんだし。自分のやりたいことやりたいだけすればいい。…いやーそれ、ちょっと羨ましいなあ」
 ことさら軽い調子で、笑って言う。ジャックは、そんなハヤトを眩しそうに見て、しかし、笑い返すようなことは、しなかった。
「元気でね」
「…………」
「何とか言えよー」
「お前、馬鹿だな」
「ってまたそれか」
「ありがとう」
「え」
 ハヤトは驚いて、ジャックの顔をまじまじと見詰める。
 ジャックは、
 笑っていなかった。
 ただ、ハヤトの頭にやおら手を置いて、やや強い力で、その髪をくしゃくしゃと掻き回し、
「じゃあな」
 とだけ言って、ハヤトが目を瞬いている間に、風が吹くようにずいぶんとあっけなくそこから居なくなってしまった。