2.

 その時、リュータは非常に機嫌が悪かった。
 店長に拝み倒されて時間が2倍に延びたバイトがようやく終わり、くたびれた体を引きずって店の裏口のドアを空けたのが15分前。
 最初に目に入ったのは薄闇にも鮮やかな原色使いのTシャツだった。
 その時点でうんざりしながら持ち上げた視線の先にあったのはいい加減見馴れ過ぎるほど見慣れたドレッドヘアを乗せた阿呆面。そいつはこちらがなんの遠慮もなく大きな舌打ちをしてやったのを気にも留めずに、色黒の肌に浮かぶ三日月のような白い歯を見せて笑った。
「泊めろ」
「死ね」
 身も蓋も無い返答に、さすがに眉をへにゃりとさせてそいつ――ユンタはわざとらしい溜息を吐き出してみせた。
「お前つれないにも程があるさー。唯一無二のシンユウがこうして助けを求めているというのに蹴り返す先は彼岸ですかい」
「誰と何がいつからなんだって?そういえばちょっと顔を知ってる程度の物体に数日前沖縄へ帰ると言って一週間居座った人様の家をやっとこさ出て行った奴がいる気がするなあどんな顔だっけそういえばこんな口か?こんな口だったのか?」
「いへへへへ!やめれ引っ張んにゃ!しかも今さりげなく俺のこと人扱いしなかったろ、やっぱひとでなしさ…わかった謝る!謝るからお願いします、泊めて下さいっ!」
「帰れ」
「帰れなくなったんだってばああ!」
「なんで」
「…えへ」
「やっぱ死ね!」
「待て早まるなその鞄じゃ本気で死ぬ!辞書とか入ってるだろそれ!」
 顔を合わせると大体に於いて始まる、ほぼ挨拶代わりの言い合いを終えて結局連れ立って家路についたのが10分前。数か月前に思う処あって一人暮らしを始めたリュータの住まいまでは、バイト先から徒歩では20分ほどの場所にあった。帰郷中止の理由は結局あいまいになって聞き出せず、都合良く乗せられた気はしつつもどの道放っておくことなどできないリュータは機嫌を非常に悪くしながらもさしあたって今日の夕食をどうするべきかを算段するはめになっていた。
「夕飯代くらいは出るんだろうなお前」
「だっはっは。分かってるくせに〜」
「今日は月のない夜だなぁ。ちょっと俺の数歩先を歩いててくれるか?背後に気を配らずに」
「すいません…後で必ず払いますからその鞄下ろしていただけませんでしょうか…。
 それにしても今日はほんとに暗いなー。この道、危なくないんか?明かりの一つもなくて」
「まあ裏道だからな」リュータは肩を竦めた。
「でもさすがに暗過ぎるってんで、ちょっと前に街灯を付けようって話が…」
 そう言って目をやった途端。
 突然、前方でフラッシュを目の前で焚かれたような白い光が明滅した。あまりの光量に反射的に腕で目をかばったが、それにもかかわらず網膜にちかちかした物が浮かぶ。
「っ…くりしたぁー。…何だ?今の」
「付けたんじゃないかね。街灯。さすが都会、行政も動きが早いさ」
「あほか!」
 一瞬雷でも落ちたのかと思ったが、その割には音がない。大体月が出ていないとはいえ、空には雲の一つも見当たらないのだ。
「車のライトとかか?」
「そんなカンジじゃなかったけどなあ…まあ、見てみりゃあ解るさ」
「げ、見に行くのかよ!」
「え、なんだよ、気になんないの?」
「なるけど」
 嫌な予感がする。
 あれは絶対に普通のものではないとリュータの勘が告げていた。こういうマイナス方面の勘というのはえてして当たりやすい。面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。だが、光の見えた場所は明らかに自分の家の近くだし、第一どのみちそこを通過せずに家に着くことはできない。それに気付いて、リュータは心底げんなりした。
 結局おんなじことなのか…。
「ほれ、とっとと行くさ!置いてっちゃうぞ〜ぅ」
「わぁったよっ!」
 こいつはなんでこんな楽しそうなんだ。腑に落ちない物を感じながら、リュータは跳ねるような足取りのユンタの後を、重苦しい歩調で追い掛けて行った。