(あいつはまだ目を醒まさないんだろうか)
 あのあとハヤトはすっかり失念していた家への連絡をあわてて入れ(時刻は既に九時を回っていた、本当の事情をを言うわけにもいかず冷や汗まじりのごまかしをしつつ)教育には一般よりやや厳しめのレベルにいる親から電話口で長い説教をくらった後、ユンタの「俺にまかせておけば万事問題ないさ!」との台詞を信じて一旦帰宅することにした。リュータはその自信たっぷりの言葉の根拠の在りかに遠慮のないツッコミを入れていたが、さすがに帰るなとは言えなかったらしく(そもそも居させたからどうなるというものでもないわけだが)、何か言いたそうにしながらもとりあえずはおとなしく送り出してくれた。リュータも当然学校がある筈だから、実質今日の昼の間ユンタは『あいつ』と二人きりになってしまうのだが、それでも多分大丈夫だろうということになったのは『あいつ』に目覚める気配がいつまでたっても全く見られなかったからだ。いや、というより、その体には、身じろきをしたりそれ以前に呼吸をしている様子すらなく、まるで電池の切れた精巧な人形か何かのようだった。かといって本当に人形なのかというとそうでもない気がする。髪が 真白なことと、目の下から頬にかけて赤い痣のような模様があること、それらを除けばそれは人間の、少年そのものの顔で、けして作り物などには見えなかった。なにより、あの体には、
(体温があった)
 触れてしばらくしてようやく伝わってくる。そんな程度のかすかなものだったが、そこには確実に生きているものの証が存在していた。担いで運んでいる時にそれを感じて、その前に見た素顔の衝撃と併せてハヤトは言いようのない気持ちが湧くのを感じた。
 こいつは一体何なんだろう。普通の人間でないことは明白なのだが、だからといって完全な無機質でもない。この半端さはなんだ。そしてどうしてこんなものがこんな自分の日常に突如として入り込んできたのか。
 何もかも、わけがわからない。
 現実と非現実はいつからすり替わったのか。それを考えた時、唯一心あたりとして浮かぶのは、あの『時計』、そしてそれを渡された時の、担任教師の常にない真剣な瞳の色だった。
 正直ハヤトは、自分の頭に浮かんだその考えをあまり支持したくはなかった。それは、彼が分かっていながら故意的に彼を危険にさらした、という結論に通じるからだ。
 しかし他に何か手掛かりになるようなことがあるわけでもなく、ハヤトはとにかくそのことについて不良担任教師を問い質すべく勢い込んで学校へとやってきたのである。
 結果はこれだが。
 このタイミングでは、嫌でも彼がこの件に関して何らかの関わりがあるとしか思えない。手掛かりがハズレではなかったのは良かったと言えるのかもしれないが、やはりハヤトの気持ちは落ち込んだ。それにどうせ関わりがあるならせめて、本人の口からそうと聞きたかったというのもある。それでいて、心のどこかには会えなかったことに安心している、まだ希望を捨てたくないという気持ちも存在している。複雑だ。
(…とにかく、いないものはしかたがない)
「おーい」
 少なくとも何か関係があるということだけは分かったんだ。帰ったらすぐ二人に話して…
「ちょっとー。呼んでるンですけどー」
「なんだよ!今重大な考え事して…」
「てい」びしっ。
「あだ!」
 振り返った瞬間を狙ったビス子のデコピンがハヤトの額に炸裂した。本気で力をこめたらしく相当の衝撃が来て、思わず、額を押さえて悶絶する。
「何す…」
「だ・か・ら、呼んでるンだっての。アタシがじゃないよ。ホレ」
 ビス子が指差した先、廊下には隣の隣のクラスの担任の理科教師がいた。確かにちょいちょいと手招きをしている。ここにいるということは今は授業がないのだろうか。いや、そんなことはどうでもいいのだが、
「ちょ…なんで僕が呼ばれてるんだ?」
「そんなこと私が知るわけないっしょ。…自分の胸に手を当ててみるのが早いンじゃないのぉ?優等生く〜ん」
 なにやら既視感を感じる台詞と共ににやにやと細められた大きな瞳をかるく睨みつけながら、ハヤトは立ち上がってドアの方に向かった。教室の視線がなんとなく自分に集まっているのを感じて居心地が悪い。
「あの…何でしょうか」