どうやら、夢を、見ているらしい。
 目の前にいくつもの光景が流れては消える。それらはすべてもう失われた過去の物だ。解っていながら心が軋む。そして、今の自分は、そんなものがあったことも、心がこうして音をたてたことすら、目覚めれば全て亡くしてしまうのだ。
 なんて寂しいのだろう。
 自分は一体、いつまでこうしていればいいのだろう。









 5.


 我が家のインターフォンを鳴らすとしばらく間があり、悪い予感が頭をもたげかけたところでドアが開いた。出てきた顔は完全に寝起き面で、呆れるより先に感心するな、と頭ではそんな定型句が浮かんだが実際に先に立ったのは(やや理不尽な)怒りの方で、リュータは微妙に不精髭の伸びたユンタの顔面にとりあえず拳骨をぶつけてやった。
「ってえ!毎度なにするんさ、お前はいきなり!」
「いや、なんとなく…」
「なんとなくで人を傷つけるんじゃありません!…まったくこのこったらどういう教育を受けてきたのかしら、ねえハヤト奥さん?」
「はあ…いや、あの、とりあえず中入りません?」
「というかもう死んでくれ」
「…つれない…」
 よよと泣き崩れる振りをしてみせるユンタを肩で押し込み、部屋へ入ると中の光景は朝不安を抱えながら後にした時と全く変わっておらず、すなわち床の端の方には人のかたちをしたなにか、がおそらくミリ単位も動いていないだろう姿勢で横たわっている。そのことはだいたい予想通りだったのではあるが、よくもまあこの部屋で今の今まで寝こけていられたものだ、とリュータは友人の豪胆と言えば聞こえはいい無神経ぶりに改めて感心した。
「なんか変わったことはあったか?」一応尋ねる。
「見てのとーりさ」返答も予想通りだった。
「それにしてもぴくりとも動かないにも程があるさー。おかげでつまんなくって途中で寝ちまったさ」
「…お前はよー…。まあいい。こっちはとりあえず収穫アリだ」
 言いながら、リュータはハヤトを顎でしゃくってみせた。話せ、ということだ。
 頷いて、ハヤトはいなくなった教師と置き手紙の事をかいつまんで説明しだした。ユンタはその話をふんふん、と相槌を打ちながら聞いている。リュータは、さしあたってすることもなく、その間にとりあえず服を着替えてしまおうと箪笥の引き出しを開けようとして…はたと、ちょうどその前を塞ぐように陣取っているものがあることに気がついた。
 …しまった。
 昨夜は直接寝巻着に着替えたので気付かなかったがこれは明らかに邪魔だ。まあ狭い部屋なのでどこに置こうと結局は邪魔なのだが。
 なにはともあれ退かすしかない。二人はまだ話し込んでいる。リュータは諦めて、横たわる体を一人で動かしに掛かった。
 ここまで運んで来たのだから今更なのではあるが、改めて触れようとするには少し躊躇いが生まれる。触った瞬間に目を醒ましはしまいか。だが意を決して手を置いた肩口のあたりからはやはり何の反応も返っては来ず、リュータはほんの少し安堵してその体をぐ、と手前に引き寄せた。
 と、無理にずらしたせいで、力の抜けた頭部がぐらりと傾いだ。思わず反射的に手で支える。
 その感触はやはり人のそれと変わりなく、リュータの心をちくりと刺した。
 ―――変わりない。
 今まで数々の珍妙な存在たちに出会って、その中には人間よりもむしろ人間のような振る舞いをする『機械』たちもいた。しかし、それでも彼等は確固として『機械』だった。人間とほんのわずかなパーツの違いしかなくても、メルヘン王国や宇宙からやって来た者達が、けして地球に生まれてきた者達と同じではないように。
 リュータは、無意識に目を閉じると、手を体に触れるか触れないかの距離ですいと動かした。
 だが、目の前に横たわるこの体は、そんな機械達よりも機械のような無機質さを持ちながら、けして機械とは違う。まして妖怪でもなく、エイリアンでもなく、明らかに自分達、地球人と近いのだ。かといって全く共通というわけでもない、どこかで、何かが決定的に隔てられている印象もある。
 こいつは、なんなんだ。
 一体―――どこから、やって来た?
 そして。
「何が目的なんかね」
 思いがけず声がかかり、リュータはつい必要以上にびくりと反応した。
「っ…くりした。なに、こいつが?わかんねーよそんなの」
『ニオイの違い』のことは、今まで誰にも話したことはなかった。こんな状況にならなければ一生口に出すことはなかったかもしれない。あまり信じてもらえるとも思えなかったし、第一それがわかってどうなるものでもないからだ。案の定ハヤトもあまり信じ切れていないようだったが。
「そいつもそうだけど、先生さんの方もさ」
 ユンタはそんなリュータの様子に気付かないのか気付いて流しているのか判然としない様子でそう続けた。
「話を聞くに、先生さんはもう明らかに最初からハヤトにこいつと関わらせる気がまんまんにあったってことだろ?でも、こんななんの変哲もない生徒その一をどーゆー理由があって選んだんさ。しかも仮にも自分の教え子を、わかってて危険に遭わそうとするかな?」
「それは…」
 それはリュータも先程考えたことだ。
 単純に考えれば、別に誰でも良かったとか、実はその教師はあまり生徒想いでなかったとかいう結論も浮かぶが、それではあまりにあんまりだ。それにそんなおおざっぱな理屈を当て嵌めるには、今起こっている出来事は不可解に過ぎる。
「…やっぱわからん」
「だよなぁ」
「というかそもそも、このメンバーで考えて結論を出そうってのが無理な気がする」
「…だよなぁ」
 二人は顔を見合わせて、自分達で言ったことに、なんとなく傷ついた顔をした。
「…ま、そーゆう訳で、ここはひとつ物理的な方面から調べてった方が早いんじゃねーかね」
「物理的…?て」
「ハヤトー」
 ユンタは後ろを振り返って、ぼんやりと手元を見つめている少年を呼んだ。やけに弾んだ声音だ。ハヤトがは、と顔を上げる。
「その時計、ぶっこわしてみよーぜー」