6.

「DTO…」
 先生。
 時計の中に…先生の、名。
「え、待てよ、なんかおかしいんさ?それってそもそも先生さんのもんなんだろ、名前があったって」
「お前は名札をわざわざ服の内側に付けるのか?そういうのは普通、表面に刻んであるもんだろ」
「あ…そうか」
「それにこのmasterってのはなんだ。百歩譲って使用者を指すとしても…なんか不自然だ。どっちかっていうとここはuserじゃないのか?マスター、って言ったら…」
「…主」
 ハヤトは、ぽつりと呟いた。
「または、征服する者。上に立つ者。
 …そんな感じですかね、確か」
 最近辞書を繰った時の記憶を掘り起こしながら言う。
「ああ、ニュアンス的には、確かそんなんだな」
 頷くリュータ。脇でユンタが一人取り残された顔をしている。
「だとするとますますわかんねーな…時計にマスターってなんだよ?あとこっちのナンバーズ、っての」
「シリアルナンバーとかじゃ」
「それも表にないと意味がないだろ」
「じゃなんだよ」ユンタがむくれた。
「知らねーよ」
 そう言うと、リュータは手に持っていた蓋を時計の元の位置にかちりと嵌めた。
「ただ、こうして中にあるってことは、この文字、これがまだ完成しないうちに刻まれたんじゃねえのかな」
「制作段階で、ってことですか?」
「それだと何なわけ?」
 リュータはうーん、と唸り、ふと、しばらくの間、じっと手の中を見つめたあと――まあ勘だけど、と前置きして、
「これ作ったのって、そのDTOってやつなんじゃねえの」
 と言った。
「え」
 ハヤトは目を丸くする。
 …作った?これを?あの人が?
 それは、なんというか…
「ずいぶん器用なんさね。話のイメージと合わんけど」
 ユンタがハヤトの感想を代弁した。
「別に根拠とか何もねーよ。勘だし。こんなもん一人で作るなんて器用っつーには度が越してるしな…でも、そーゆう可能性ってのは、ないのか?」
 最後の部分はハヤトに尋ねられたようだ。今度はハヤトがううん、と唸る。
「確かに、手先が器用だったと言えばそうですけど…パソコンのタイピングがやけに速かったり…でも、そんなの言われてみればってぐらいだし。…そんな特技があったら、第一、真っ先に自分で吹聴してそうなもんですけど、あの人的に」
「隠しておきたいことだったとしたら?」『時計』を手の中で弄びながらリュータは続ける。
「本名もわからない。普段の行動が伝わってこない。学校側すら把握してないなんて不自然にも程があるだろ。意図的に隠してるって感じがぷんぷんする。…何か、普通の教員として暮らすには、持ってちゃおかしいことをそいつは持ってるんじゃあないんだろうか。
 その一端が、これだって気がする」
 手の中で、じゃら、と鎖が音をたてる。
「じゃあ…結局何なんさ、それって」
「わかんねー」
 『時計』を握った手が止まる。
「わかんのは、なんだかやけに妙だってことだけだ」
 そうして、リュータはふいにそれを投げて寄越した。受け取ったユンタは、何気なく手の中でくるくると回して、あ、と声を上げた。
「また繋ぎ目がねー…え、いくらなんでもおかしいだろそれ!」
「だから、妙なんだよ」
 リュータは溜息をつくと、ハヤトに水を向ける。
「一体、なんなんだ?お前の先生ってのは」
「…わかんない、です」
 ハヤトはのろのろと答える。
「もとから、謎の多い人だとは思ってたんですけど。ああいう雰囲気の人だし、特に気にすることもなくて…」
 考えれば考える程混乱してくる。
 あの人があまり(今まで思っていたよりもさらに)普通の先生でないということはどうやら認めるしかなさそうだ。
 でも、それが解ったからといって自分はどうすればいいというのだろう。この『時計』を手にした時のことを考えてみても、それが自分であった、というのはやはりたまたま以外の何物でもない気がする。
 だとしたら。
 じゃあ、今、自分がどうあがいたところで、結局この状況をどうにかすることなんてできないんじゃないだろうか。
 このままじっとしているしか。
 …嫌だな。この感覚は。ハヤトは思った。
 自分が、世界や出来事に対してあまりに小さいという実感。沼地を行くような足の重み。息が苦しい。何も出来ない、と思うことが、体中から力という力を奪っていくような気がする。
 どうすればいいんだろう。
 どうすれば――いいんですか?…先生、
「DTO…」
 その名が、思わず口を突いて出た。
 ――それを待っていたかのように。
握った手の中に、突然、脈動の感触が生まれた。
「え」
 慌てて開いた掌の上で、はっきりと視認する。『時計』の蓋に刻まれた、月と星のモチーフ。それが、その身に火種を内包したかのごとくに―――ぱあっと、熱の色に染まってゆく。
「…どうした?」
「…だめです!
 二人とも、逃げて…!」
 しかし、それは間に合わない。
 その時ハヤトは、確かに感じた。掌の上にある金属の塊から、腕を体を通してダイレクトに伝わる感触。鼓動が早まる。熱くなる、その場所が。
 ――まるで、心臓が、二つになったかのように。
 「う…あ…!」
 体の内の何かが押し潰されそうな負荷にハヤトが思わず声を漏らした、次の瞬間。


 『力』が、弾けた。